社畜にならないために必要な3つの覚悟

社畜、それは不景気が生んだ慣習の怪物。
社畜、それは夢を追うことを忘れた志のなれの果て。

「他に道はない」とあきらめムードの同僚。
「その気になれば・・・」とハッタリだけで実行に移せない先輩。
「あわよくば使い倒そう」と負担を強いる経営者。

お互いの生活が根底にある問題なだけに一概に悪いとは言い切れませんが、こうした連鎖が毎日の幸福度を下げているのは言うまでもありません。

あなたは依存体質のスパイラルに組み込まれていないでしょうか。

実は3つの心がけを実践するだけで、こうした悪循環から身を守ることができます。
その心がけとは、

  1. 自己判断のボーダーラインを決める
  2. 人生に明確なビジョンを持つ
  3. ビジョンの実現に努める

たったこれだけです。

今回は「社畜とは何ぞや」から人生のビジョンを実現する方法論について触れたいと思います。

そもそも論:社畜の定義を考える

社畜を一言で説明すると「会社の言いなり」です。
自分の意思と会社の意思がたまたま一致している、社内規定に則った判断の場合はこの限りではありません。
労働基準法スレスレ(もしくはアウト)の勤務時間でも慢性的なハードワークでもありません。

つまりは個人の思考・判断を放棄し、会社の意思に寄り添った労働者こそが社畜なのです。

社畜の何がいけないのか

僕が今まで見てきた社畜に感じた問題点は、以下の通りです。

  • 命令とあらば、多少の犯罪もいとわない思考停止とモラルの欠如
  • 忠実に見えるだけで本当は不実「会社が・・・上司が・・・」の責任転嫁一点張り
  • ゾンビがゾンビを生むかのごとく社畜精神を強要し、仲間を増やす

果たして彼らを仲間と呼べるでしょうか。
共に切磋琢磨し合える関係と言えるでしょうか。
割り切れる大人には取るに足らない存在なのかもしれませんが、繊細な人にとっての社畜は個人の尊厳と可能性を蝕む脅威に他なりません。

譲れない一線、ボーダーラインの必要性

ここが合致しなければ首を縦に振らない基準を決めておき、人間の尊厳を守る最後の砦です。
参考までに僕は法律的なボーダーライン、道義的(人としての)ボーダーライン、プロとして(専門分野における原理原則)のボーダーラインを設けています。
判断基準だけでなく、感情に流されて過剰に逆らわないための理性の拠り所としても機能するスグレモノです。
実行には強い心が求められ、ある意味、精神修行と言っても過言ではありません。
職場を追われる危険を想定し、厳格に定め過ぎないのがコツです。
あくまで自分のみに適用するルールにとどめておいてください。

人生の明確なビジョンとは

人生には必ず終わりが訪れます。
あまり受け入れたくない現実ですが、人はいつか必ず死にます。

ここでのビジョンは、一生の間に叶えたい大切な夢を指し、その明確さは「どのように実行するか」といった具体性によって計れます。
大切かどうかがポイントであり、大小や数は問いません。
そして、本当に叶えたいのなら「いつか」は「いつまでに」に考え直しましょう。
ちなみに僕の直近のビジョンは、3年以内に個人事業主や中小企業を全力で応援できるアドバイザーになり、それをライフワークとすることです。

ビジョンを実現する条件

実現に必要なもの(資格・スキル、資金、人脈など)をリストアップし、調達する行動を取ります。
ビジョンがなければ、今こそ考えるチャンスです。
計画だけで満足せず、少しでも実際に動いてみることが重要です。
なぜなら行動には、あなたのビジョンが実現するに値するかどうかを占う効果があるからです。
また、計画と実行内容には必ず埋めなければならないギャップがあり、計画がうまくいく保証は行動なくしてありえません。
「ただ考えている人」と「実際に行動している人」には雲泥の差があります。

まとめ

  • 社会人である前に人であることが、社畜化への免疫となる
  • 毛嫌いしすぎると自分が「ただのややこしい社員」に成り下がるリスクもあるため、個人的な指針を定めることが理性を保つ秘訣となる
  • 未来への希望とその実現への行動が、自分の可能性と在り方を示してくれる

この記事は、会社で自分の立ち位置に困惑している人へのエールのようなもので、決してなにがしかの体質や人格を批判するものではありません。
迷える人にわずかばかりの勇気を与え、人生を充実させるネタにでもなれば、社会人冥利に尽きるというものです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする